心を洗う音空間 「音のトンネル」

 鹿島灘に面した茨城県鹿嶋市(旧大野村)が企画施行した 「はまなす公園」 は海が臨める丘陵地にあり、赤や白い花をつけるはまなすの自生の南限である。公園のいたる所に、はまなすが自然の景観とマッチして植えられており、地形をそのまま活用した150メートルのすべり台、スポーツ広場、太平洋が一望できるタワー、さらに自然を利用し谷川のように200メートル以上の流れを作るせせらぎが配されている。 週末、休日には家族連れで一日を過ごせるスペースである。

  このせせらぎに沿って 「音のトンネル」 という興味をそそられる施設がある。

 
音のトンネル」 というあまり聞きなれない名称に、谷あいの傾斜地に入口の部分しか目につかないように作られている穴の中に、ほとんどの親子が吸い込まれて行く。トンネルの中はせせらぎの音がかすかに聞こえる程度に静かであるが、やや暗い全長10メートルの中程に近づくにつれ、どこともなくピーン、ピーンという不思議な音が間をおいて入る。

  音の聞こえる方向に目をやると「つくばい」がしつらえてある。傍らの小さな手燭石の後に設置されたスピーカーから、耳を澄ますと聞こえる程度の音が出ている。「つくばい」の下の地中に、逆さに埋められた瓶の中に小型のマイクロホンが備えられ、瓶の底に開けられた小さな穴から水滴が落ちる時に発生する音を収音し増幅、スピーカーから音を反射しているのである。これが 「水琴窟」 であることを知っている人は少ないのであるが、説明用パネルを見てまたトンネル内に入って行く。

 茶道という文化的、伝統的な芸術と、ワビ・サビの世界に用いられた茶道空間と、江戸期に考案された音具を結びつけ、音も楽しむという日本独特の音文化が「音のトンネル」のように遊びながら科学できることはすばらしいことである。

 また別の 「音のトンネル」 については、子供の頃に経験したことを思い出す。
今から40年以上も前の田舎、ほとんどの道は舗装されておらず、デコボコの砂利道であった。隣村(地区)の親戚や知り合いの家へ行くには、狭く勾配のある道を転ばないように、道に転がっている石や窪みに注意しながら行き来したものである。その途中に百メートル弱はあろうかという隧道(トンネル)があった。その隧道は多くの人手、集落の人達がツルハシやノミその他を使って掘ったもので、機械で掘ったものとは違い、壁面には大きな岩や石、赤土などがむき出しのまま、いつか読んだ菊池寛の「恩讐の彼方」に出てくる「青の洞門」を思い出す。






  隧道の出口ははるか遠くに小さく明るい光が見え、中程には20燭光程度の裸電球が一つポツンと灯っている。子供心にすごい恐怖心を抱きながら、行き着く先の楽しみを思いつつ、足元がほとんど見えない中、一歩一歩ただ出口の明かりを目指して歩いたものである。

  しかし、この薄暗い宇宙のような道で、唯一子供の心をいやす音が合った。それは天井部分の岩の間からしみ出した水が水滴となり、路上の水溜まりゆっくりとしたテンポで落ちた時に生ずる水音である。隧道入口までの樹木のざわめきや鳥の声、それに遠くから聞こえるオートバイやトラックなどの音が暗闇の中に入った途端に失せ、変わりに恐怖心を癒してくれる水音が数ヶ所で異なった音を奏で、それが反響し合いまるで自然の楽器のようであった。

  もちろん水琴窟などというものは全く知らなかったが、水音に関する調査研究を始めて、興味を持ったその音と発音原理は子供時代の体験と重なる。

 「水琴窟」 は、江戸期に庭師の一門によって集中的に造られたという形跡がある。今のところ愛知、三重、兵庫、鳥取、福井、徳島など我が国の中央部に集中しているが、その他の地方にもいくつか見つかっており、その縁起についてはまだ不明な点がある。水琴窟という呼称は、琴の音に似ていることから付けられた名称であるが、必ずしも古いものではなく洞水門などということもある。





 土中で生じる水滴音であるから極めて小さな音である。人の耳には「つくばい」の傍らや茶室の中でもはっきりと聞こえるものの、周囲のものの音の方がはるかに大きいレベルのため、騒音計で測定することは難しい。地中に埋められた瓶の穴のすぐそばで測定しても最大値で30〜35dB程度である。



 水琴窟が盛んに造られ、その音が楽しまれた時代、環境の音は、自然が奏でる風の音、鳥の声、庶民の下駄や草履で歩く音、たき火の燃える音、水の音など現代の環境音に比べはるかに小さかったであろうが、かすかな自然の音にも耳を傾け、その「水琴窟」は、風情に心の憩いを求めようとする日本人独特の音感性が生んだ文化財であるといえよう。





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