大ビール祭「オクトーバフェスト」
 最近は日本においても地ビールブームであり、A社、K社、S社などの大メーカのみでなく、かえってその地域の特性を生かし、味も風味も大きく異なる少量生産のものが結構売れていると聞く。
 しかし、地ビール的な小規模のものから、世界中に名前が知られている大会社まで多くのメーカや種類が伝統的に作られ、また多量に飲まれているのは、ヨーロッパ、特にドイツであろう。ドイツの中でもビールの本場といえば、ミュンヘンが州都のバイエルン州であることは、だれでも否定することはない。

 99年9月末、ミュンヘンを1年4ヶ月ぶりに訪れた。大ビール祭「オクトーバフェスト」を体験することも目的の一つであった。この祭りは、1810年ルートヴィッヒ1世の成婚を記念して、最初に開かれ現在まで続いている。会期は15日間で、10月第1日曜が最終日と決まっている。

 会場は、テレージエンヴィーゼといわれる広場で、それは市の中心部からそれほど離れておらず、中央駅(オクトーバーフォーク Hauptbahnho)の地下鉄(U-4)を利用すれば、10分足らずで広場と同名の駅に到着する。ホテルで早々に軽く朝食を済ませ、早速1日乗車券を購入し地下鉄に乗る。時刻は9時30分頃であった。地下鉄車内は、すでに通勤時間を過ぎているにもかかわらず賑やかで、小学校低学年と思われる集団が元気に皆友達同士と話していた。騒々しいというより活気のある車内である(LAeq:73dB)。ビデオカメラと騒音計を持った東洋人が珍しいのか、屈託のない笑顔をこちらに向け、「ピース」のサインを出す者もいる。子供は洋の東西を問わず同じである。

 テレージエンヴィーゼ駅で降りると先程のピースサインや笑顔の集団と同じようなグループがいくつか降りていた。平日であるが引率の先生と共にフェストの会場へ向かっている。地元に根付いている文化と伝統の催しのため学校は休みなのか、それとも校外活動としてなのか。

 地下鉄から地上へ出るとそこはフェスト会場である。広場の中央部に幅広の通りを作り、その両側に設営されている、数千人は入る屋内競技場と見まがうばかりのいくつかのビアホールは、とても仮設とは思えないほどしっかりと、また外部、内部の装飾も心うきうきさせるものがある。
 ある区画には、後楽園位はあると思われる遊園地風の施設が、通りの中央部には、1坪程度の屋台風の土産物屋が1列に軒を連ねている。大きな鯖や鱒1尾をそのまま串に刺した炭火焼き、チキンブロックのバーベキュー、1トン以上はあろうかと思われる子牛を50〜60センチメートル間隔にスチールバンドでしばって丸焼きしている。名物のソーセージ類やドーナツ型やハート型に作られた塩パンなど、小雨がそぼ降る初秋の天候であるが、これからの多くの来場者に備えてそれぞれの店では準備に余念がない。特にビアホールは、ガランとした場内の所々でチロリアン風の衣装を身に着けた会場係の女性がこれから始まるであろう事態に備えて入念な打ち合せをしている。何か嵐の前の静けさという雰囲気である(LAeq:67dB)。


 再度午後の後半に会場を訪れる。本日早朝と全く異なり、中央駅周辺や地下鉄乗り場など細い身の日本人なら2人は入ろうかと思うほど、腰回りの太い皮のニッカポッカ風吊りズボンにチロリアンハットをかぶった赤ら顔の堂々とした体格の男性や、朝ホール内で見たのと同じような格好をした女性がそこかしこに見える。

 地下鉄車内は、足の踏み場もないほど混雑している。ヨーロッパの地下鉄や電車でこれほどの状態にあったのは初めてである。しかし日本の車内風景のように無表情でどこか冷たい雰囲気とは全く異なり、これから先の楽しみも加わってか陽気で明るい。



 オクトーバフェスト会場は、車内と同じ位人、人、人の波である。またゲルマン系の人がほとんどのため、あまり背の高くない日本人(と言っても我々のみしか見かけなかったが)は、彼らの肩位までしかない子供のようで、一度見失うと探し出すのが無理かも知れない。人の流れに乗りながらも、人混みをかき分けやっとビアホールに到着した。やや遅い昼食を兼ねてやっと見つけた木製の長テーブルに付き、この祭用に仕込まれたビール(オクトーバビール)、バイエルン田舎風の料理の数々を注文する。直ぐに出されたものを見てビックリ、ジョッキは直径が大人の顔ほどもあろうと思われる大きさ、普段日本で飲んでいる「大」の2倍と思えば良い。また皿も同様、全てがゲルマンサイズである。

 亡くなった作家の開高健氏ではないが、再びこの地に戻れるように「カンパイ」(と言ってもミュンヘンはすでに3度目であるが)、廻りを見ると我々夫婦にジョッキを軽々と頭上高く掲げながら祝ってくれている。お腹も少し落ち着いたので、両腕で例のジョッキをさし揚げ周囲の人々に再び返礼、ことばも交わす。驚いたのはこの祭りを楽しみに、バイエルン州の人々のみではなく、全ドイツ、オランダ、オースリア、フランス、イギリス、デンマークなど、ヨーロッパ各地から集まっていた。たぶんアメリカ大陸からの人も含まれているだろうし、少しばかりはアジアの人も。それぞれのグループは賑やかに話したり、歌ったり、またグループ同士がさらに一つの大きなグループにつながり、長く幅広いテーブルが一つに、さらに数列のテーブルが一つになりホール中央部に設けられているステージで演奏されている音楽に合わせて大きなうねりのような歌声になる(LAeq:83dB)。もちろん我々も自然にそのグループの仲間になっていたことは言うまでもない。オクトーバフェストは、ビールを通じた国際交流の場である。



 そういえばこの原稿を書いて共に、フェストの時移した我々夫婦の満面の笑顔をアップで撮った数枚が手紙に同封されて届いた。早々に何かのお返しをしなければ……。



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